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松江地方裁判所 昭和54年(ワ)2号 判決 1981年3月31日

原告

須山幹夫

原告

須山節枝

右両名訴訟代理人

開原真弓

渡部邦明

被告

島根県

右代表者知事

恒松制治

右訴訟代理人

片山義雄

右指定代理人

原伸太郎

外四名

主文

一、被告は、原告須山幹夫に対し、金三二五万五一一〇円及びこれに対する昭和五四年二月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告須山節枝に対し、金三〇四万五一一〇円及びこれに対する右同日から支払済みまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

二、原告らのその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用は、これを二分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

四、この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一、原告ら

1  被告は、原告須山幹夫に対し、金二四六〇万二五二九円及びこれに対する昭和五四年二月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告須山節枝に対し、金二四三〇万二五二九円及びこれに対する右同日から支払済みまで年五分の割合による金員を、それぞれ支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  第1項につき仮執行の宣言

二、被告

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一、原告らの請求原因

1  当事者の地位

(一) 原告らは、訴外亡A(昭和三四年一二月二八日生、二男)の父母である。

(二) 被告は、島根県出雲市塩治町一九三二番地所在の島根県立農林総合研修所(以下単に研修所という。)の設置者である。同研修所は、農林業経営の近代化と技術革新の要請に応え、積極的に人的資源の開発を企図し、とくに農林業従事者及び農林業技術者の養成を研修の主目的とし、従来存した農家後継者及び農業技術者養成のための諸機関を統合した新しい農林業教育機関として昭和三八年四月に設置されたものであり、その教育の基本方針として、集団自治生活を通じて農林業に生きる確固たる人生観と幅広い人間性の創造につとめることをあげ、全寮制をしていた。

(三) Aは、昭和五三年三月島根県立飯南高等学校を卒業して同年四月研修所に入所し、研修所内の寄宿舎清明寮に居住していた。

2  事故の発生

訴外甲、乙、丙及び丁は、いずれも昭和五三年八月当時、Aと同様研修所研修生として右清明寮に居住していたものであるが、日頃Aの行動を快く思つていなかつた右四名は、共謀のうえAに暴行を加えることを企図し、同年八月四日午後九時一〇分頃から午後九時五〇分までの間、研修所本館内の玄関口、廊下及び玄関先通路等において、同人に対し、こもごも頭部、腹部等を手拳で殴打、足蹴し、あるいは投げ倒すなどの暴行を加え、同人の頭部等に打撲傷を負わせた。

Aは、右暴行を受けた後、本館西隣りにある清明寮一階玄関口にある舎監室に自力で辿りつき、舎監中村敏明によつて発見されたが、直ちに島根県立中央病院で治療を受けたが、同日午後一〇時七分頃脳内出血により死亡するに至つた。(以下、これを本件事故という。)

3  被告の責任原因その一(不法行為責任)

(一) 本件事故当時、桐原正義は、研修所所長として部下の職員を指導監督すべき地位にあつたもの、藤井右男は、同次長として桐原の右職務を補助すべき立場にあつたもの、持田行夫は、研修所の教授であり、かつ本件事故当夜は緑の学園の舎監として研修所に泊り込んでいたもの、中村敏昭は、研修所舎監の地位にあり、本件事故当夜研修所に泊り込んでいたものである。

(二) 右職員らの過失

(1) 本件事故時における巡視(監視)義務違反

(イ) 持田及び中村は、本件事故当日の舎監として、随時寮内外を巡視し、寮規則に違反する者に対しては適切な注意及び指導をなす義務があり、そのため常に寮生の動向に注意を払い、本件事故のような不祥事件を未然に防止すべき職務上の注意義務があつた。また、桐原及び藤井は、右の両名が右のような注意義務を尽くすよう監督すべき職務上の注意義務があつた。

(ロ) 本件事故の原因となつた甲らの暴行(以下、本件暴行ともいう。)は、前記のように、研修所本館内の通路及び玄関の内外付近で、午後九時の点呼が終つて間もないころから約四〇分もの長時間にわたり執拗かつ公然と行われているのであつて、大きい物音もしており、寮生の中には右暴行を目撃した者も多数存在する。

(ハ) したがつて、持田及び中村が本来果たすべき前記の注意義務を尽くしていれば、早期に右暴行を発見して本件事故を防止できた筈であるのに、中村は舎監室でテレビを見ていたためこれに気付かず、また、持田は右暴行が行われていた午後九時一五分ないし二五分頃本館玄関を通りながらこれに気付かなかつたものであつて、いずれも過失がある。そして、桐原及び藤井においても、右両名の監督を怠つた過失がある。

(2) 日常の指導、監視義務違反

(イ) 研修所は、全寮制を採用し、研修生の共同生活を義務づけていた。研修生の年齢はおおむね一七ないし二〇歳前後であつて、この時期は未だ心身の発達が十分でなく、時に感情の赴くままに行動するなど情緒面でも安定度が高いとはいえない年齢層に属する。また、研修生は、種々の性格や生活歴をもつた者がさしたる厳格な選別も受けないで入所を許されており、その中には過去に非行歴を有する者も存在した。このような青少年の共同生活(寮生活)にあつては、非民主的な命令、服従関係やけんか闘争等の暴力行為がとかく発生しがちであり、現に以前にも研修所内での暴力事件が存在した。

(ロ) とくに、本件事故の加害者である甲ら四名のうち、甲は研修所入所以前にも暴力非行歴を有しており、また右四名は、本件事故以前にも寮内で何度かAら体力等の劣る弱者に暴行を加えていたのであつて、他の寮生から恐れられていた存在であり、寮内には非民主的な力による支配、服従関係が成立していた。

(ハ) したがつて、桐原所長をはじめとする前記職員らは、それぞれの立場で、日頃から寮生に対し、寮生活における協調性、非暴力、規律遵守の指導をなすとともに、寮生個々の性格、挙動及び寮内秩序の実態を把握し、とくに甲らのような暴力的傾向を有する者に対しては、徹底した指導監督を加えることにより、本件のような暴力行為の発生を未然に防止すべき注意義務があつた。

(ニ) しかるに、右職員らは、右の注意義務を怠り、前記のような寮生活の実態を看過し、放置していたため、本件事故が発生したものである。

(ホ) なお、寮内では、従前、禁止されている筈の酒、煙草が事実上放任されていたのであり、このようなことから寮生の間に規則無視の風潮が広がり、それが本件事故の一因となつているのであつて、この点にも右職員らの指導、監視義務違反の過失がある。

(ヘ) また、前記のとおり、本件暴行を目撃した寮生が多数存在していたのであるから、前記(ハ)記載の日常の指導が徹底していたならば、右寮生ら自身が直接暴行を制止するか、少なくとも舎監への通報がなされ、これにより本件事故は防止できたものと思われるのに、誰一人制止又は通報する者はいなかつたのであつて、このことは、右の指導が徹底していなかつたことを示すものであるとともに、寮内における前記のような支配、服従関係の存在を裏付けるものである。

(三) したがつて、本件事故は、被告の公権力の行使に当る公務員がその職務を行うについて過失により惹起したもの、もしくは、被告の被用者である前記職員らがその事業の執行につき過失により惹起したものということができるから、被告は、国家賠償法一条もしくは民法七一五条に基づき、原告らの後記損害を賠償すべき義務がある。

4  被告の責任原因その二(債務不履行責任)

(一) 本件事故当時、Aと被告との間には、Aが研修所で農林業教育を受けることを主な目的とする研修契約が成立していた。したがつて、被告は、右契約に付随するものとして、前記桐原所長らの職員を履行補助者として、寮生活を含む研修所での生活のすべての面において、Aの生命、身体の危害が生じないように万全の注意を払い、物的・人的環境を整備し、諸々の危険から同人を保護すべき契約上の責務(以下、安全配慮義務という。)を負つていた。

(二) 右安全配慮義務の具体的内容は、前記3の(二)(1)、(2)記載のとおりであり、かつ、被告は同記載のとおりこれらの義務を怠つたのであるから、被告は原告らに対し、債務不履行に基づき、原告らの後記損害を賠償すべき義務がある。

5  損害<省略>

6  結論<省略>

二、請求原因1に対する被告の認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  同2の事実のうち、甲らの暴行の時間は否認し、暴行の内容は不知、その余の事実は認める。暴行の時間は午後九時三〇分頃から十数分間であつたと思われる。

3(一)  同3の主張事実のうち、持田行夫の過失を主張する部分は、時機に遅れた主張であるから、第一次的には却下を求める。

(二)  同3(一)の事実は認める。

(三)  同3(二)(1)の事実のうち、(イ)の事実は認める。(ロ)の事実のうち、本件暴行が行われた場所が原告ら主張のとおりであることは認めるが、その余は否認する。(ハ)の事実のうち、持田が午後九時二〇分頃本館玄関前を通つたことは認めるが、その余は否認する。

持田は、右の時刻頃本館玄関前に異常のないことを確認しているから、そのころは本件暴行は未だ始まつていなかつたものと思われる。また、右暴行現場に隣接する食堂内には、当時二〇余名の寮生(研修生及び緑の学園の生徒)がいてテレビを観覧していたが、これらのうち大部分の者は右の暴行に気付いていなかつた。したがつて、右の暴行が約四〇分にわたり公然と行われたとの主張は事実に反する。

(四)  同3(二)(2)の事実につき

(1) (イ)、(ロ)の事実のうち、研修所が全寮制を採用し、研修生の共同生活を義務づけていたこと、研修生の年齢がおおむね一七ないし二〇歳前後であつたこと甲が研修所入所以前に暴行非行歴を有していたことは認めるが、その余は否認する。

研修所内においては、本件事故以前には、いたずらないしはふざけ合い程度のことは多少あつたにしても、暴力事件と目すべきものは何ら存在しなかつたし、少なくともその存在をうかがわせるような徴表は皆無であつた。また、右甲の非行歴は、同人が私立江の川高校在学中の昭和五一年頃傷害事件で補導されたというものであるが、右の事実は同人の入所の際の選考関係書類に何ら記載されておらず、研修所としては本件事故発生に至るまでこれを知りえなかつた。そして、同人には、昭和五三年四月の入所以来格別暴力的傾向も認められなかつた。以上のごとく、本件事故以前の研修所は、暴力とは無縁の状況にあつたのであり、本件事故は偶発的で予測不可能な事件であつた。

(2) (ハ)、(ニ)の主張のうち、桐原らの職員がそれぞれの立場で、日頃から寮生に対し、寮生活における協調性、非暴力、規律遵守の指導をなし、暴力行為の発生を未然に防止すべき注意義務を一般的に負つていたことは認めるが、その余の主張は争う。

(3) (ホ)の事実のうち、寮内で煙草を喫う寮生がいたことは認めるが、その余の事実は否認する。

桐原ら職員は、寮生に対し、機会あるごとに喫煙の禁止を申し渡し、父兄にも協力を依頼するなどして、教育上多大の苦心を払つていたが、他の学園においても見られるごとく、これを根絶することは極めて困難な状況にあつた。したがつて、喫煙の事実をもつて規律保持状況の全般を推定することはできず、同事実は本件事故とは何ら因果関係がない。

(4) (ヘ)の事実は否認する。

(四)  同3(三)の事実のうち、桐原ら四名の職員が被告の被用者たる公務員であることは認めるが、その余の事実は否認する。同職員らの職務である教育活動は、公権力の行使には当らない。

4  同4(一)の事実のうち、被告がAら研修生に対し、一般的安全配慮義務を負つていたこと、桐原所長が右義務の履行補助者であつたことは認めるが、その余の事実は否認する。藤井次長以下単に上司の指示命令を受けて職務に従事する者は、右の履行補助者には含まれない。

(二) 同4(二)の事実及び主張は争う。

5<略>

三、被告の主張及び抗弁

1  被告の責任原因の不存在

(一) 寮生活の運営方針

研修所の設置目的は原告ら主張のとおりであるところ、全寮制採用の目的は、共同生活及び教科外活動の体験を通じて、自律と協調の精神の涵養を図ることにあつた。そこで、研修所は、寮生に対し、舎監の指導助言の下に、別紙(一)記載の寄宿舎規程及び同(二)記載の日課時刻表に従つた規律正しい日常生活を送ることを義務づける一方、寮生が自主的に寮生活を運営することを指導目標としていた。

(二) 本件事故時における巡視(監視)義務違反について

(1)舎監の服務態勢

舎監の服務心得及び服務内容等は、別紙(三)記載の舎監心得のとおりであり、その勤務時間は、午後五時一五分(但し、土曜日は午後零時三〇分)から翌日午前八時三〇分までとなつていた。舎監は、右勤務時間中、随時寮内外を巡視し寮生の指導助言を行うことを職務内容としていたが、前記日課時刻表からも判明のとおり、午後九時の点呼(夕礼)をはさみ、午後七時から午後一一時までの間は寮生の自由時間となつていて、この間寮生は学習、洗濯、買物、懇談、テレビ視聴、夜食作り等広範囲の自由行動が認められ、特別な事情がない限り舎監による継続監視を受けないことになつていたから、舎監は右の自由時間中は監視の眼を外して他の事務を行つてもよく、休息をとることも許されていた。

(2) 中村舎監が本件事故を覚知した経緯

中村舎監は、本件事故当日(当日は金曜日)の午後九時頃、清明寮一階の舎監室前で点呼を行い、寮生全員の存在を確認し、一同に訓示を与えた後、舎監室で時折警備員と会話を交えながら休息をとつていた。すると、午後九時五〇分頃、Aが舎監室に来て何か訴えようとしたが、中村がその発言内容を理解できないうちに、Aはその場に昏倒したので、驚いた中村は応急手配に入つた。

(3) 本件事故の態様等

本件事故を惹起した甲ら四名のAに対する暴行は、寮生の一人であるBに対する暴行から移行したものであるが、前記のとおり、当日緑の学園(高校生を対象とする短期間の合宿講習)の舎監をしていた持田が午後九時二〇分頃本館玄関前を通つた時には何らの異常もなかつたから、Bに対する暴行が始まつたのは右の時刻以後であり、さらにAに対する本件暴行の開始は午後九時三〇分頃と推定される。したがつて、Aが舎監室に現われた前記時刻を合わせ考えると、同人が暴行を受けた時間は十数分であつたものと思われる。そしてまた、前記のとおり、右暴行現場に隣接する食堂内にいた寮生らの大部分が右暴行に気付いていなかつたことからしても、本件暴行に伴う物音は軽微なものであつたと思われる。

(4) 舎監室と本件暴行現場との位置関係

本件暴行が行われた本館一階食堂前廊下及び玄関付近と舎監室とは、別棟に属し、直線距離にして二五メートル以上離れていた。

(五) 中村らの無過失

以上の事実に、前記のとおり本件事故発生を予測せしめるような何らの徴表もなかつたことを合わせ考えると、中村が本件事故当時舎監室で休息をとつていたことは極めて自然の姿であつて、この点に過失があつたとはいえず、また、同人がAが訪れるまでに本件事故の発生に気付かなかつたことも無理からぬことであつて、この点に過失があつたということもできない。また、持田は、前記のとおり、午後九時二〇分頃本館玄関前を通つたが、当時何らの異常も認められなかつたのであるから、同人にも過失はなく、右両名に過失がない以上、桐原及び藤井の監督義務違反を問題にする余地もない。

(三) 日常の指導、監視義務違反について

(1) 研修所の概要

研修所は、農業後継者が減少する傾向の中にあつて、将来農林業の中核自営者になろうとする者並びに農林技術指導者になろうとする者に対し、国の指導に沿つて、時代に即応する農業経営能力と専門技術を習得せしめるために、演習・実習を通じ実践的な研修教育を行うために設置された機関であり、あわせて、共同生活及び教科外活動の体験を通じて、自律と協調の精神の涵養を図る上から全寮制をとつていたものである。

研修所は、教育施設及び宿泊施設等を整備し、研修所長の下に次長、総務課、教務課、附属施設を組織して、四科一五課程を置いて運営していたものであるが、本件事故当時、桐原所長のほか八名の指導職員と五名の事務職員らが配置されており、当時の研修生現在員二五名に対して人員的にも十分な指導ができる状態であつた。

(2) 研修生の入所選考

本件事故関係者ら六名を含む研修生は、いずれも本人及び親権者から入所志願をし、履歴書、戸籍抄本、市町村長の推せん書、卒業証明書、最終卒業学校長の調査書、健康診断書による書類審査並びに学科試験、面接試問を経て、農業後継者たる要件、学歴、年令等の入所資格を認められて入所を許可されたものである。(入所に際しては研修所規則第九条所定の誓約書を所長に提出している。)

なお、研修所は、前記のとおり、本件事故の加害者の一人である甲に前歴があつたことはまつたく分らなかつたが、仮に選考の段階で、研修生としてふさわしくないことが判明していれば、入所が許可されなかつたことは当然である。

(3) 入所後の研修生に対する指導監督

研修所が研修生の指導監督のため具体的にどのような注意を払つていたかを、(イ)研修所長、(ロ)部下職員、(ハ)寮長、週番等に分けて明らかにする。

(イ) 研修所長

(a) 研修所長は、研修生に規律ある研修所生活を送らせるため、前記寄宿舎規程及び日課時刻表を遵守させるよう、舎監らの職員に対して次の指示をしていた。

舎監は、研修生との接触等において気付いた事項を教務課長に報告すること。教務課長は、右報告事項に対して必要な指示をするとともに、問題ありと判断した事項については所長に報告すること。

なお、このことに関して、昭和五三年六月二七日、研修生から舎監に対して飲酒、喫煙の許可を求める要望があつた際、この報告を受けた所長は、直ちに全研修生を集合させて、自らその不当を諭したことがある。

(b) また、研修所長は、職員定例会(毎月一回)等において教務職員に対し次の訓示をしていた。

研修生の中に規律を守らない者がある場合は直ちに注意すること。生活態度の多くは、家庭生活の中において身につくものであるので、注意しても改善の努力が認められない者については、直ちに親を呼び、研修生共々注意し、さらに親から子供に対して強く訓戒させること。さらに、これによつてもなお改善が認められない者については、再び親を呼び休学、退所を勧告すること。

右訓示が、職員間に徹底していたことは、昭和五三年七月一二日の実習中に水のかけ合いをした研修生に対して直ちに始末書を提出させ訓示を与えるなどの措置をとつたこと、また、午後九時の点呼後に無断外出した研修生某に関して、親に再度の来所を求めて注意したのち、昭和五三年七月一日付で退所を命じたことから見ても明らかである。

(c) 研修所長は、右指示、指導をもつて研修所内の規律保持を図る一方、次の措置をして管理体制の充実を図つた。

従来、教務課職員の交替制による当直舎監制であつたものを、職員の健康管理並びに研修生の生活指導充実化を図るため、専任舎監制に改善することに尽力し、昭和五三年七月一日からそれを実現した。(前記舎監心得はこの時改定したものである。)

なお、所長は、同年五月初旬から右専任舎監の人選にかかつており、その結果、もと高等学校教員である中村舎監、野村舎監両名の適任者の就任承諾を得たものである。そして、所長は、着任した中村舎監に、七月六日の自己の農政学講義時間(三時間)を与えて、同舎監の研修生の掌握、意思の疎通の便を図つた。

また、右の管理体制強化を図る一方、精気溢れる研修生の集団生活であることに鑑み、体育館の新設に尽力した結果、昭和五三年七月五日に体育館開きを行い、研修生の利用に供した。以来研修生は、夕食後、点呼時までの間積極的に利用し、バレー、バスケット、卓球等を行つていた。

前記のとおり、本件事故当時、研修所内では緑の学園の行事が開催されていたが(昭和五三年七月三一日から八月五日まで)、右行事参加者(高校生)に対する舎監は、従来は研修生の舎監が兼任担当してきたものであるところ、昭和五三年度からは、別に教務課職員一名をこれに当て、中村、野村両舎監は、平常どおり研修生の舎監業務に専念できることとした。

(ロ) 部下職員

(a) 教務課長は、舎監が勤務につくため出勤した時、また勤務が終了した時、その都度報告を受け、その際、所長の指示及び自身で必要と判断した指導事項について打合せを行い、点呼時における舎監からの寮生に対する伝達指導事項を指示していた。また、教務課職員は、課長を中心として、寄宿舎規程、研修生の心得等について入所時に説明、指導をしたほか、さらに実習開始時等において、それぞれ必要な訓示、指導を行つていた。

(b) 舎監の服務、寮生活の運営については、前記(一)及び(二)(1)で明らかにしたところである。中村舎監は、自らの教師経験を踏まえて、さまざまな機会をとらえて研修生の個性の理解に努め、またその生活指導に工夫をこらし努力していたものである。

(ハ) 寮長、週番等

研修所での寮生活は、前記のとおり、研修生の自主的運営を基盤としていたが、その一方策として研修生の中から寮長、週番等を互選させ、舎監の指導助言の下に、寮内の規律の自主的保持を行わせていた。

(4) 研修所内の規律保持状況について

(イ) 過去において、研修生の間で、多少の殴打等が行われたことがあつたとしても、怪我、こぶ、その他何らの外形的徴表も、痛みに耐えかねての泣鳴もなかつたことから見て、軽微なこと(乱暴の程度)であつたと思われ、原告らはことさらこれを「暴力事案」としてオーバーに強調する疑いがある。ちなみに、研修所は、本件事故発生後の昭和五三年一〇月三〇日の父兄会において、父兄に対し、研修所内で過去に発生した暴力事件の有無につき伝聞したことがあれば申し出てほしいといつたが、何らの申出もなかつた。

研修所においては、規律保持の中心である暴力事案がないようにすることについては、平素とくに意を用い、前記のように、いたずらと見られる程度の水のかけ合いについても厳正な措置を講じていたのであつて、ほぼ完全に達成されていたのである。研修所長は、右のような乱暴程度の軽微な事件であつても、これを覚知した場合は、いつでも規律保持のため必要な処分を採る姿勢であつたが、何らそのような徴表(申出、暴行をうかがわせる客観的情況等)がなかつたため処分が行われなかつたというまでのことである。一般的に見て、若い男性のみを対象とした集団生活においては、精気に溢れ、青春を発散させるための他愛のないふざけ合い行動があるのも通常の姿と言うべきであり、これらについては、研修所で定めている処分の対象ではなく、むしろ成年期前の青年においては、この程度の活発さは、当然あるべきものと思考される。研修所が、何ら徴表もないのに、研修生に何か非違行為はないかと探索に及ぶということは相当でない。

(ロ) 原告らは、研修生の中に喫煙が行われていることを指摘し、これをもつて寮内の規律保持が不充分であつたことの証左として、しきりに強調しているが、喫煙の問題については、極めて困難を伴う事情があり、喫煙の事実をもつて規律保持の全般を推定することは、当を得ないものである。研修生としても、前記のとおり、この点については教育上多大の苦心を払つて来た。

(5) 結論

以上のとおり、桐原所長以下の研修所職員は、日常の指導、監視義務を尽くしていたのであるから、同人ら右注意義務を怠つた過失はない。

(四) 安全配慮義務違反(債務不履行)について

そもそも、債務としての安全配慮義務は、雇用関係において、使用者が被用者の生命健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務として認められたものであつて、これを雇用関係とは性質を異にする在学中の寮生活関係にまで及ぼすのは相当でない。のみならず、仮に右を肯定するとしても、前記のように、寮生活は寮生が自主的に運営することになつていたから、安全配慮義務も寮自治の原則と調和する程度で足りると解すべきところ、前記のとおり、桐原所長以下の職員は、Aら寮生の安全について十分な配慮を加えていたのであるから、被告に右義務の不履行はない。

2  一部弁済及び請求権の放棄<省略>

3  一部免除<省略>

4  過失相殺

Aは、生前言語障害があり、運動神経も鈍く、これらの欠陥を補うためか虚言癖があつて、平素他の寮生から好ましく思われていなかつたものであり、このような同人の性格、態度が本件事故の一因となつている。また、本件事故当時、暴行現場のすぐ隣の食堂には多数の寮生らがいたから、Aが大声を出すなどして救いを求めておれば、死亡の結果は防止できたものと思われるのに、同人は何らそのような手段をとらなかつた。

右の事実は、過失相殺に準じて、損害(とくに慰藉料)の算定に当つて勘案されるべきである。

四、抗弁に対する勘案の認否<省略>

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1の事実(当事者の地位)、及び同2の事実のうち、昭和五三年八月四日午後九時過ぎ頃、Aが研修所本館内玄関口、廊下等において研修生の甲、乙、丙及び丁の四名から暴行を受け、これが原因で同日午後一〇時七分頃脳内出血により死亡したこと(本件事故の発生)は当事者間に争いがない。

二本件事故の態様等

<証拠>によれば、次の事実が認められる。

(一)  研修所の本館、清明寮等の建物の位置関係及びその内部構造(但し一階部分)は、別紙図面(一)、(二)に表示したとおりである。

(二)  本件事故当時清明寮で起居していた研修生(寮生)の数は二四名であつたが、そのほか、当時七月三一日から八月五日までの予定で高校在学生を対象とした緑の学園と称する行事が開かれており、その参加者二四名のうち、男子一七名は本館三階で、女子七名は研修館二階で、それぞれ起居していた。

(三)  本件事故当夜、Aは午後九時の点呼(夕礼)終了後、本館一階にある食堂内で他の寮生及び緑の学園の生徒十数名とともにテレビを見ていた。甲ら四名も同様別紙図面(二)の①表示の位置付近でテレビを見るなどしていた。午後九時一五ないし二〇分頃、寮生のB(当時一七歳)がジュースを買うために食堂内に来り、自動販売機でジュースを買つて出入口から出るべく甲らの前を通りかかつた。すると、甲がBの腕をとつて呼び止め、丁が同人の持つていたジュースを取り上げたうえ、四人でこれを回し飲みし、甲が最後に残つたジュースをBの顔にふりかけた。Bが不服の態度を示しながら空罐を所定の場所に返して再度出人口から出ようとしたとき、丁が足を掛けて同人をその場に倒し、甲が同人の衿首をつかんで同人を出入口から玄関ホールへ連れ出した。丁、乙、丙の三人もこれに続いて出た。甲は、同図面②付近でBを倒し、足蹴、殴打の暴行を加え、Bは③付近の廊下に坐り込んだ。

(四)  そのとき、乙は、Aを連れて来てBと格闘させることを思いつき、前記のように食堂でテレビを見ていたAを呼び出して③付近に連れて来た。そして、乙は、Aに対し、Bを殴るようにいつたが、Aがこれに応じなかつたので、同人の腕をとつて、うずくまつて甲の説教を受けていたBの頭部を無理やりに殴らせた。すると、甲は、自分が説教している横から手を出したとして立腹し、今度は矛先をAに向け、同人につかみかかつて③付近で同人の腹部を足蹴りし、顔面を数回殴打した。Aが甲ともみ合つたまま後ずさりしたため、両名は西側出入口から外へ出て④付近に至つたが、同所でAが謝罪の言葉をいつたので、甲は同人から手を離して③のBの所へ引き返した。

(五)  そこへ、二人を追つて来た乙が入れ違いに来て、Aを⑤付近の廊下へ連れ戻し、詰問のうえ平手で同人の顔面を二、三回殴打し、足をかけてその場に同人を倒した(このころBは解放された。)。その直後、⑥付近に移動したAに対し、甲、丁、丙の三人が、こもごも、手拳で顔面、腹部等を殴打し、ビニールのサンダルや空のダンボール箱で頭部、背部を殴打し、下腹部を膝蹴りし、あるいは頭に手を当てて側頭部を壁に数回打ちつけるなどの暴行を加えた。乙は、このころ恐怖を覚えてその場から離脱した。

(六)  次いで、甲がAを②付近のホールへ連れて行き、同所で顔面を殴打したうえ、その場に投げ倒した。丙も腹部を一回殴打した。その直後に、甲と丙はその場を去つたが、丁は、なおもAを玄関から外へ引き出し、⑦、⑧、⑨付近で順次一回ずつ同人を投げ倒した後、ようやく同人を解放してその場を去つた。

(七)  午後九時五〇分頃、Aは舎監室入口に現われ、中村舎監に何か訴えようとしたが言葉にならず、中村がメモ紙とボールペンを出して筆記を促したが、これに応ずる間もなくAはその場に昏倒した。そこで、中村は直ちに救急措置をとつた。

以上のとおり認められる。なお、Aに対する暴行の開始時点について、原告らはこれを九時一〇分頃と主張し、一方被告らは九時三〇分頃と反論しているので、判断を付加するに、右の点を直接証明する適切な資料はないけれども、前掲各証拠、なかんずく「点呼の時間は五、六分から長くて七、八分。」との中村証言、「点呼を終えて自室に帰り、約一〇分位してジュースを買いに行つた。」とのBの供述記載(<証拠>。なお同人は、当法廷での証言ではこのを二、三分としているがにわかに信用し難い。)、「事件後実験したところによれば、緑の学園生徒の点呼を終え、本館玄関前を経由して自分の宿泊所にしていた生活館に着いたのは九時一七分頃となる。」との持田証言(この点について、<証拠>中には、同人が九時二五分頃玄関前を通つた旨の記載があるけれども、同記載は右の証言に照らして採用できない。)、「Bがやられたのは一分もかかつていないと思うが、その後直ぐにAが連れ出された。」との広江透の供述記載(<証拠>)を総合すると、Bに対する暴行の開始は、持田教授が生活館に入つた直後の九時二〇分頃であり、Aに対する暴行もその直ぐ後に続いて開始されたものと推認するのが相当である。そして、前記暴行の態度からすれば、Aは、丁から解放されて直ちに舎監室へ赴いたものと推認するのが自然であるから、結局、Aに対する暴行は、九時二〇分頃から九時五〇分頃まで約三〇分間にわたつて行われたものと認められる。甲は、その証言中で「右の暴行の時間は約一〇分間位と思う。」と述べているが、以上の認定事実に照らしてたやすく信用できず、他に以上の認定を左右するに足りる証拠はない。

三被告の責任原因その一(不法行為責任)について

1  持田の過失の主張が時機に遅れた攻撃防禦方法であるとの被告の申立について

原告らが、持田の過失を初めて主張したのは、昭和五五年九月三〇日の本件第一〇回口頭弁論期日に至つてからであることは、本件記録上明らかであるけれども、同人に対する証人尋問はすでにその前の第八回口頭弁論期日において終了していたことなどからして、右主張の提出によつてとくに新たな証拠調べの必要性が生ずるものとは思われず、これにより本件訴訟の完結が遅延するものとは認められないから、右主張の却下を求める被告の申立は採用できない。

2  請求原因3(一)の事実(桐原ら職員の地位等)は当事者間に争いがない。

3  職員らの過失について

(一)  本件事故時における巡視(監視)義務違反について

(1) 持田及び中村は、当日の舎監として随時寮内外を巡視し、寮規則に違反する者に対して適切な注意、指導をなす義務があり、そのため常に寮生の動向に注意を払い、本件事故のような不祥事件を未然に防止すべき職務上の注意義務があつたこと、桐原及び藤井は、右の両名が右注意義務を尽くすよう監督すべき職務上の注意義務があつたことは当事者間に争いがない。

そして、前記認定事実によれば、甲ら四名のAに対する本件暴行(Bに対するものも含む。)は、食堂に隣接したホール、廊下等人通りの予想される場所で、半ば公然と約三〇分間にわたつて行われたものということができるところ、<証拠>によれば、当時食堂にいた緑の学園の生徒のうち数名(少なくとも五名)は右の暴行に気付いていたこと、しかるに、中村は、前記のとおり、午後九時五〇分頃Aが舎監室入口に現われて初めて本件事故に気付いたこと、また、持田は、その直後頃中村からの通報で初めて本件事故発生を知つたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

(2) しかしながら、他方、<証拠>によれば、以下の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

(イ) 研修所は、別紙(一)記載の寄宿舎規程、同(二)記載の日課時刻表及び同(四)記載の寮生心得を定めて、寮生に対し、右に従つた規律正しい日常生活を義務づけていたが、右の制約の枠内では、寮生活の運営を寮生の自治に委ね、寮長、副寮長、室長の役員及び週番を置いていた。

(ロ) 舎監の服務については、別紙(三)記載の舎監心得が制定されていて、中村ら舎監は平生右心得に従つて服務していた。そのうち、寮内外の巡視については、随時となつていてとくに時刻、回数の定めはなかつたが、平日の場合特別の事情がない限り、勤務の始まる午後五時一五分から五時三〇分頃までの間に一回、午後六時から七時頃までの間に一回、午後一一時の消燈時に一回、翌朝に一回の合計四回巡視に回るのを常としていた。そして、午後七時から一一時までの時間帯は、午後九時の点呼(夕礼)をはさんで寮生の自由時間となつており、この間寮生は広範囲の自由行動が認められていたが、右時間帯のうちとくに午後九時から一〇時頃までの間は外部から寮生に対する電話がよくかかつてきたので、舎監(但し、持田ら緑の学園の臨時舎監を除く正規の舎監)は、午後九時の点呼後一〇時頃までは、右電話の取次等のため自室である舎監室に待機していることが多かつた。

(ハ) 中村舎監は、本件事故当夜、午後九時の点呼を終えた後舎監室に戻り、いつもと同じように同室で待機し、隣室の警備員と雑談を交したりテレビを見るなどしていたが、Aが現われるまで何らの異常も覚知しなかつた。また、持田は、午後九時頃本館三階で緑の学園の男生徒の点呼をし、続いて研修館二階に行つて同女生徒の点呼をした後、本館玄関前を通つて清明寮の玄関から同建物一階東部分にある教務課に入つて新聞と週刊誌を取り、再び右玄関から出て九時一七分頃自己の宿泊所とされていた生活館内の和室に到着し、以後中村からの通報を受けるまで同室で新聞を読んでいたが、右の間何らの異常も覚知しなかつたこと。

(ニ) 本館玄関入口から舎監室及び右生活館内の和室までの距離はいずれも約二五メートル、本館西側出入口から舎監室までの距離は約一八メートル、右出入口から右生活館内の和室までの距離は約二八メートル(いずれも直線距離)であるが、舎監室の東側はコンクリート壁で遮蔽されていた。

(ホ) 本件暴行時において、甲ら加害者及びAら被害者の双方が格別の大声を上げた形跡はなく、また、前記暴行に伴う通常の物音(サンダルやダンボール箱で殴打する音、頭を壁に打ちつける音など)以上の異常に大きい物音が生じた形跡もない。そして、当時食堂内にいた者の中には、本件暴行にまつたく気付かなかつた者も少なくとも二人はいた。(食堂の東端部から玄関ホール中央部②付近までの距離は約一四メートルであり、しかも当時食堂出入口の扉の半分は開放されていた。)

(ヘ) 本件事故発生に至る前、本件のような寮生間での暴行事件が研修所に発覚したことはなかつた。

(3) 以上認定の(1)(2)の事実を総合して職員らの過失の有無を検討するに、(2)の(イ)、(ロ)及び(ヘ)の事実に照らすと中村及び持田が本件事故当時それぞれ自室にいて雑談あるいは新聞を読むなどしていたことは、前記舎監心得に反した行動ではないから、この間巡視に出なかつたことをもつて過失があつたということはできない。そしてまた、食堂にいた生徒の中に本件暴行に気付いた者がいたとしても、(ニ)、(ホ)の事実に照らすと、右暴行時の物音や人声が各自室にいた右両名の耳に届き得たかどうか多大の疑問が残るから、同人らが何らの異常も覚知しなかつたことをもつて過失があつたということもできない。ただ、同人らにおいて、テレビを消して雑談を止め、又は新聞を読むことなく外部の物音に神経を集中していたならば、あるいは右暴行に気付くことができたかと推察されないではないけれども、(ヘ)の事実に照らすと、同人らにそこまでの注意義務を課するのは過酷であつて、相当でない。なお、原告らは、持田が本件暴行の最中に本館前を通りながらこれに気付かなかつたことをもつて過失ありと主張するけれども、前記二で認定したとおり、同人が本館前を通つた時点では未だ右暴行は始まつていなかつたものと認められるから、右主張も失当である。

桐原及び藤井の監督義務については、本件と同種事故を何ら把握していなかつた当時の状況下においては、同人らにおいて中村らに対し、前記舎監心得に定める以上に巡視について特別の指示をすべき義務があつたとは認められないから、同人らに右義務を怠つた過失があるということはできない。

したがつて、職員らに本件事故時における巡視(監視)義務違反の過失があつたとする原告らの主張は理由がない。

(二)  日常の指導、監視義務違反について

(1) 次の事実は、当事者間に争いがない。

研修所は全寮制を採用し、研修生の共同生活を義務づけていたこと。そして、研修生の年齢はおおむね一七ないし二〇歳前後であつたこと。本件事新の加害者の一人である甲は研修所入所以前にも暴力非行歴を有していたこと。桐原所長以下の前記四人の職員らは、それぞれの立場で、日頃から寮生に対し、寮生活における協調性、非暴力、規律遵守の指導をなし、暴力行為の発生を未然に防止すべき(一般的)注意義務を負つていたこと。

(2) <証拠>によれば、次の事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。

(イ) 研修所の教育課程は四科一五課程から成つていたが、その中心は、中学卒業生を対象とする普通科と高校卒業生を対象とする専攻科で、修業期間は原則としていずれも一年であり、若干名は各研究課程でさらに一年間継続して修業できることになつていた。入所手続に際しては、願書に履歴書、戸籍抄本、卒業(見込)証明書、市町村長の推せん書の添付が要求されており、研修所は、右のほかに出身学校長作成の調査書又は学業成績証明書等を徴して書類審査のうえ、面接試問の方法で人物考査を経て入所者を選抜していた。研修所は、特別の事情がない限り、右以上に進んで志願者の過去の非行歴等の素行調査はせず、従前、志願者数が定員を割つていたため、入所を志願して許可されなかつた事例は殆どなかつた。甲の前記非行歴は、入所一、二年前の高校在学中に他校生との間で暴行傷害事件を起こし、松江家庭裁判所で審判を受けた(結果は不処分)というものであるが、右の事実は同人に関する前記の選考関係書類において何ら触れられていなかつたため、研修所は右非行歴に気付いていなかつた。

(ロ) 研修所では、教務課長以下五名の教務課職員が中心となつて研修生の生活指導に当つていたが、その方法としては、入所に際して前記寄宿舎規程、日課時刻表及び寮生心得を配布し、折に触れてその遵守を求めていた。清明寮の舎監は、従前は右教務課職員五名が交替で泊り込んでいたが、昭和五三年七月一日から専任制に改め、中村ほか一名(一日交替制)を舎監として新規採用し、これに伴つて前記舎監心得も別紙(三)のとおり改定した。

(ハ) 本件事故当時清明寮で起居していた研修生は、前記のとおり二四名(その内訳は普通科四名、専攻科二〇名)であつたが、本件事故関係者のうち、甲(当時一九歳)、乙、丙及びA(いずれも当時一八歳)の四名はいずれも昭和五三年三月に高校を卒業して同年四月に専攻科に入所したもの、丁(当時一六歳)は昭和五二年三月に中学校を卒業して同年四月に普通科に入所したもの(したがつて在所二年目で研究課程に属していた)、B(当時一七歳)は中学校を卒業後昭和五三年四月に普通科に入所したものであつた。

(ニ) 右のうち、A及びBは、知能、運動能力等において劣るところがあり、性格的にもおとなしかつたため、平生本件加害者を含む他の寮生から疎じられており、何かにつけていじめられ、時には殴打等の暴行を受けることもあつた。他方、甲は、前記の非行歴が示すように、他罰的、攻撃的性向を有し、本件事故以前にも寮の居室等で二、三度Aに暴行を加えたことがあり他にも昭和五三年七月中旬頃寮生名原某の顔面を殴打したこともあつた。なお、同人は、平素派手な髪型、服装をしており、そのことで中村舎監らの職員から注意を受けたこともあつた。また、丁は、一六歳の普通科生ではあつたが、在所二年目ということで専攻科生と付合うことが多く長髪にし、夜間構内でバイクを乗り回すなどして注意を受けたこともあつた。そして、同人も、Bに対し数回殴打等の暴行を加えたことがあつた。このようなことから、B及びAらのいわば弱者は、日頃寮生活を苦痛に感じていたが、報復を恐れて、右の被害事実を舎監ら職員又は寮長らの役員に届け出なかつたので、右のような甲らの暴行は研修所に発覚するところとはならなかつた。

もつとも、昭和五三年七月末頃の週末、Aが顔面に瘡蓋をつくつて原告ら父母の訴に帰省したことがあり、これに気付いた原告らがその原因を問質したところ、同人は隣室の寮生とけんかして殴られたと答えたが、それ以上に進んで、平素いじめられていて寮生活が苦痛であるなどとはいわなかつたので原告らも同人に注意しただけで、研修所へ通報することはしなかつた。また、同年七月中旬頃、教務課長の登城金丸は、前記の名原某が眼の縁を黒くしていることに気付き、その原因を問質したが、同人が自分で誤つて怪我をしたと答えたため、それ以上追及をしなかつた。(右のA及び名原の傷痕は、実際はいずれも前記甲の暴行によるものと推認できる。)

(ホ) 昭和五三年六月二六日頃、寮生の約八割が署名して、研修所に対し、点呼時間の繰下げ、寮内での喫煙、飲酒の容認及び舎監の廃止を求める決議文が提出されたが、右は寮長等の自治組織を通じて取りまとめられたものではなく、有志世話人四名の中には甲も含まれていた。また、同年七月一二日の実習中(昼間)には、乙ほか一名の研修生が、Aに対し、灌水用ホースで水をかけて全身をずぶ濡れにするという事件が起つた。

研修所は、右決議文の提出に対しては、翌日所長以下の職員が全寮生を集めて厳重に注意し、また、右放水事件については、即日乙らに対して注意を与えて始末書を提出させた。

(ヘ) 中村舎監は、七月一日の舎監就任に際し、教務課職員から、前記決議文の提出等それまでの寮生の一般的動向についての説明を受けたが、個々の寮生の性格等についての具体的説明は受けなかつた。しかし、同人は、就任後本件事故発生までの約一か月余(実質二週間余)の勤務を通じて、あるていど個々の寮生の性格特性を把握し、前記のようにA及びBが知能、運動能力等で劣つていて他の寮生から疎じられていたことを察知しており、また、甲の髪型及び服装が派手であり、丁が長髪にしてバイクを乗り回すことなども知つていて同人らに注意を与えたこともあり、同人らが注意を要する人物だとの認識を抱いていた(もつとも、同人らが暴力的傾向を有するとまでは思つていなかつた。)

(ト) 研修所は、前記のように、決議文の提出及び放水事件に際しては相応の措置を講じたが、前記のような寮内での従前の暴力行為を伴つた弱者いじめについては、これが発覚に至らなかつたためその実態に気付かず、それがため中村を含む職員らは、前記(ロ)記載の寄宿舎規程等の配布とその一般的遵守の呼びかけの措置を超えて、ことさら暴力行為についての具体的な注意を与えたことはなかつた。

(チ) なお、本件事故に際し、Bは、自己が解放されて数分後に再度本件暴行現場を通りかかり、Aに対する暴行がなお継続されていることを目撃したのに、中村舎監らに通報することなくそのまま自室に戻つた。そして、乙も、前記のとおり途中で恐怖感を覚えて離脱したのみで、甲らの暴行を制止しようともせず、舎監への通報もしなかつた。そしてまた、前記のとおり、緑の学園の生徒のうち少なくとも五名が本件暴行に気付いていたのに、同人らも同様何ら通報等の措置をとつていない。

(リ) また、寮生活の自治組織として寮長、副寮長、室長の役員及び週番が置かれていたことは前記のとおりであるところ、これら役員及び週番がそれぞれの立場で風紀面等寮内の規律維持についての任務を負つていたことは認められるものの(寄宿舎規程五条六条)、前記のような決議文提出の経緯からしても右役員らの機能が建前どおり発揮されていたものとは思われず、とくに、前記のような甲らによる暴力を伴つた弱者いじめの解消又は予防について、右の自治組織が役立つていた形跡はない。

(3) 以上の認定事実に基づいて職員らの過失の有無を検討する。

(イ) 前記(2)の(ニ)で認定した事実と二で認定した本件事故の態様に照らすと、本件事故は、偶発的、突発的なものではなく、日頃寮内で何回か反復されていたA及びBらに対する暴力を伴つた弱者いじめの延長として捉えることができ、それが集団心理によつてエスカレートして死亡という重大結果を招いたものということができる。そして、本件暴行の中心的役割を果しているのは甲であり、同人の非行歴にもみられるように、他罰的、攻撃的といつた同人の性向が大きく作用していることが肯認される。

(ロ) 被告は、何らの徴表事実もなかつたから本件事故は予見不可能であつた旨強調する。なるほど、前記(2)の(イ)の事情からすると、研修所が甲の非行歴に気付かなかつたことは止むをえなかつたところであり、また、甲及び丁らによる従前の暴力行為が研修所に発覚していなかつたことも前記認定のとおりである。

しかしながら、(2)で認定した諸事実、とくに、研修所はさして厳格な選考を経ることなく殆ど全員の志願者の入所を許可していたこと、研修生の年齢には四、五歳の開きがあり、学歴にも差異があつたこと、六月二六日頃には前記のような決議文提出の動きがあり、さらに七月一二日には乙らによるAへの放水事件が起つたこと、中村舎監は、Aらの弱者が平素他の寮生から疎じられていることを察知し、しかも甲及び丁に対しても警戒の目を向けていたことなどの事実に照らすと、桐原所長以下の職員がなかんずく中村においては、平生の寮生活がその理念どおり自律と協調の精神によつて運営されているかどうかについて疑念を抱き、とくにこのような世代の共同生活において生じがちな本件のような強者による暴力を伴つた弱者いじめの存在についても思いを至らすべきであつたということができる。

(ハ) そして、中村が、右のような配慮のもとに、とくにAら弱者に対する注視、接触を重ねておれば、前記(2)の(ニ)で認定したAや名原の傷痕を覚知することができ、ひいては同人らに対する甲らの従前の暴行をも察知しえたものと推認することができるのであつて、そうすれば、その段階で甲らに適切な指導を加えることによつて本件事故の発生を未然に防止することができたものということができる。仮に、右甲らの暴行を察知することまではできなかつたにしても、寮生に対して日頃から暴力行為について具体的に注意を与え、被害事実の届出、目撃した場合の通報等について指示をするなどの措置を講じておれば、甲ら自身の自己抑制又はB、乙による通報等により、少なくとも本件事故における致死の結果は回避できたものと思われる。

(ニ) しかるに、中村は、前記認定のとおり、寮内での暴力行為について格別の意を用いず、これが防止のための具体的な措置も講じなかつたのであるから、少なくとも同人には前記のような日常における指導、監視義務を怠つた過失があるというべきである。

(ホ) もとより、寮生活の運営が原則として寮生の自治に委ねられていたことは前記のとおりであるけれども、右の原則が建前どおり機能していなかつたことはすでに認定したところであり、そのことは決議文提出の経緯等からして中村ら職員も認識しえた筈であるから、右の原則をもつて前記過失判断を左右することはできない。そしてまた、本件のように、研修所の教育目的の一環として全寮制を採用し、研修生に対して寮での共同生活を義務づけているような場合には、その職員の不法行為上の注意義務の内容は、雇用契約上のいわゆる安全配慮義務の内容と一脈相通ずるものがあるというべく(但し、研修所の在寮関係は基本的には公の施設の利用関係として公法関係に属するものと解されるから、契約上の債務としての右安全配慮義務をそのまま本件に導入することは相当でない。)、中村ら職員は、寮生に対する日常の指導、監視等を通じて、暴力行為等の危害から寮生を保護すべき相当高度の注意義務があつたということができるから、同人について前記の内容の注意義務及び過失を肯認することは過酷ではないと考える。

4  そうすると、研修所における教育活動の一環としての舎監の職務は、国家賠償法一条に規定する公権力の行使に該当するものと解すべきであるから、中村以外の職員の過失及び原告ら主張のその余の責任原因について判断するまでもなく、被告は、同条に基づき、原告らが本件事故により蒙つた損害を賠償する義務がある。

四請求権放棄の抗弁について<省略>

五過失相殺の抗弁について

被告は、Aの性格、態度が本件事故の一因となつている旨主張するけれども、仮に同人の平素の性格、態度が本件事故の遠因になつているとしても、これをもつて同人に過失があつたということはできず、また、前記認定の本件事故の態様に照らすと、右のようなAの性格、態度が甲らの本件暴行を少しでも正当化するものとは認められないから、右の点をもつて過失相殺の資料とすることはできない。

しかしながら、前記認定の暴行の態様等からすれば、Aは本件暴行の途中において、自力で逃走し(甲は別紙図面(二)の④付近で一たんAを解放している。)、あるいは大声をあげて中村、持田らに助けを求めることができたのにもかかわらず、後難を恐れたためかその挙に出なかつたことが推認され、右の事実は本件事故発生についての被害者の過失として斟酌することができる。そして、このAの過失割合は、三割とみるのが相当である<以下、省略>

(鳥越健治)

別紙(一)、寄宿舎規程<省略>

別紙(二)、日課時刻表<省略>

別紙(四)、寮生心得<省略>

別紙(三)

舎監心得

(服務心得)

1 農林総合研修所教育の一環として、寮生の自主的な寮運営を基調に寮の自治活動、団体生活を通じて自律と協同の精神を身につけさせ、健全な社会人となるよう指導援助すること。

2 寮規則は、集団生活の最低の必要規則であることを理解させ必要な指導助言を行ない、寮生が協同して豊かな寮生活ができるよう配慮すること。

(服務内容)

1 随時寮内外を巡視し、寮生の指導助言を行うこと。

2 寮規則を守るよう指導助言し、違反者には適切な注意指導を行うこと。

3 寮長、副寮長、室長、部役員及び各当番等の活動が円滑にできるよう指導助言すること。

4 寮生の一般的動向を知り、気楽な相談相手となること。

5 舎内外の整理整頓及び清掃を行わせるとともに、火災及び盗難の予防に注意させること。

6 寮生の健康維持、衛生、風紀に留意すること。

7 起床点呼、夕礼点呼に立会し、必要な指導・助言をすること。<以下、省略>

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